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大豆田とわ子で感じた「一人で生きていく」という意味の変遷

今のところ「一人で生きていく」には程遠い、夫+三姉妹に囲まれる私です。

今季のドラマでは「大豆田とわ子と三人の元夫」というのをみていました。

 

久しぶりにドラマを追ってみていたのですが、思ったのが

一人で生きていくって普通だけどいろんな意味合いがあるよね、ということ。

あと、一人で生きていくからこそ、多数の他者とのつながりを求めているということ。

 

大豆田とわ子と三人の元夫

 

まず1個目:「一人で生きていく」の意味合いの変遷

以前のドラマって、結局誰かと誰かが一緒の人生を生きていくための

恋愛やコメディやアクシデントが起きてからの、ドラマが多かったように思います。

(と言ってもあんまりテレビ見ない家だったのでそんなに見てないけど)

 

その子どもの頃、1990年〜2000年の印象だと、

自分の人生を生きる!っていうよりは

配偶者やパートナー、子供など、自分以外の人生も混ざって自分の人生(下手すると相手の人生100%)が形成されているという感じかなと思ってました。

 

で、それ以降コロナ禍の前は

自分の人生は自分で舵取りするんだー!自分を生きるんだー!

子どもがいたって一人の女扱いして欲しいんです!みたいな感じの

自分ほぼ100%の人生を押す声が多かったように思います。

 

そんな時に、コロナ禍になって

自宅に引き籠るようになって逆に他者とのつながりを求め始めています。

でも、完全に他者と混ざっちゃうというよりは、

自分70%くらい、他者(配偶者じゃない)の要素を30%ミックスしていこう

というミックス感が出てきてると思いました。

 

で、ドラマを見て思ったのが、

他者≠配偶者で、他者=流動的に変わる他人 なんです。

 

多分、他者を一人に決めちゃうと、お互い重たいし、ライフスタイルに合わなくなってくるし、なんかリスク高いよね?って感じになってきて

その時々に必要な他者をパートナー的に認定してやって行こうかな、と思ってるのかなと感じました。別に結婚してても離婚してても友達でも、関係性に名付ける必要なくない?という印象です。

 

「一人で生きていく」って何度も耳にしますが、一人の意味って色々含んでるなと思います。

 

で2個目:一人で生きていくからこそ、つながりたい

「一人で生きていく」だからこそ、いろんなスキルや好みを持った人と随時、相互に繋がっていく必要が出てきているんだと思います。

ドラマ中、とわ子が自宅の網戸をはめてくれない様子から、終盤小鳥遊さんに網戸をはめてもらいます。こんなふうに、必ず必要じゃないけど、その時々に適切なスキルと関係性を持った人が必要だよねってこと。

それで、SNSやネット上での出会いづくりやコミュニティ作りが流行っているんだなぁと思いました。

 

ふと、それっで私もやってるのかな?できるのかな?と思うと

比較的コミュニケーション下手な私はあまり好ましくないなと思っています。

 

今の、配偶者と家族(少なくとも夫とはずっと居ようという気持ちがある)がパートナーとして確定している状況は、私にとっては安心感があるなと思っているのです。

 

そんな私から見ると、とわ子の「一人で生きていく」「流動的にいろんな人と頼り頼られる人間関係を築く」という決心は、すごい勇気があるなと思いました。

 

 

久しぶりにドラマやその感想ツイートなどを見ると、なかなか今の世の中?の感じ方や現れ方が垣間見れて面白いです。

 

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